ブロックチェーン技術はESG債の市場参加者に恩恵をもたらすか

2023年10月30日

ブロックチェーン技術というと、ほとんどの人がビットコイン等の「デジタル通貨」を連想されるでしょうが、ブロックチェーン基盤を利用した社債型セキュリティ・トークン「デジタル債」についてはまだ馴染みがないと思われます。日本では2022年6月に日本証券取引所グループ(JPX)が日立製作所、野村證券、BOOSTRYの3社と協業し、デジタル債普及を目的に国内初のデジタル環境債を発行しました。


また最近では、三菱UFJ信託銀行とNTTデータが共同し、1万円単位で社債を売買できるデジタル債インフラを整備するとのニュース(2023年8月10日付日本経済新聞朝刊)もあり、今後の市場整備の取り組み加速が期待されています。

運用企画部 兼 責任投資推進室 シニアアナリスト 深代潤

運用企画部 兼 責任投資推進室
シニアアナリスト 深代 潤

債券市場は「プロの市場」? ~売買単位の壁と税制の違い~

社債の流通市場の参加者は、現在でもほぼ金融機関と機関投資家に限定されています。発行市場においても、大半の銘柄は最低投資単位が1億円で、個人が購入するにはかなり高額な水準に設定されています。中には電力債や金融債、一部の個人向け社債といった小口で投資できる銘柄も存在しますが、これらは基本的に満期保有を目的とする貯蓄代替ニーズに対応したもので、流通市場における頻繁な売買は想定されていません。中途売却は可能ですが、流動性がなく、相応の売買コストを負担する必要があります。


社債市場がこのような状況となっている背景には、民間部門の資金余剰があります。日本の機関投資家の債券運用ニーズは非常に高いため、発行体がわざわざ発行コストや流通、保管コストをかけて債券を小口化する必要がないということです。
また、機関投資家には一定の要件で、受取利子に対して源泉徴収の不適用制度等の税制優遇がありますが、個人投資家にはこのような税制上の優遇措置はありません。この税制の違いが、個人投資家の市場参加の障壁となっています。



デジタル債の特徴 ~技術革新の大きな果実~

ではブロックチェーン技術を活用したデジタル債により、従来の社債(振替債)と何が変わるのでしょう?これまでとの違いや、デジタル債のユニークな特徴を整理してみましょう。


まず1つ目の特徴は、情報の非対称性が解消されることです。社債に関する情報がブロックチェ-ンに記録されることで、発行体、信託銀行、証券会社、投資家等が、技術的にはすべての情報に同じタイミングでアクセス可能になります。例えば、発行情報や債務情報、主幹事といった従来の募集要項が投資家にまで瞬時に共有される一方、発行体も発行条件ごとの投資家需要動向などニーズ把握が容易になります。個別銘柄の流通情報(保有者、保有額、売買価格情報)を投資家も知ることができるため、流動性が向上し、売買コストが低下することが見込まれます。また、発行体が債券保有者を常時把握できるため、タイムリーな情報提供が可能になり、投資家との直接対話のインセンティブも向上します。


2つ目の特徴は、ESG情報のリアルタイム開示が可能になることです。ESG債には、グリーンボンド、ソーシャルボンド、サステナビリティボンドなどがあり、発行体のサステナビリティ戦略における文脈に即し、環境・社会課題の解決を目的として発行されます。例えば、近年発行が増えてきているサステナビリティ・リンク・ボンドは、特定の重点業績評価指標(KPI)を組み入れたサステナビリティ・パフォーマンス・ターゲット(SPTs/例えば、CO2の削減量など)を掲げ、SPTsの達成状況により、金利条件などが変動するように設計されています。これまでは、債券の資金使途であるプロジェクトのインパクトやSPTsの達成状況を、発行体側も投資家側も個別に情報収集していたため、集計作業の負担が大きく、商品組成コストが割高になったり、投資先の横比較がしづらかったりなどの課題がありました。


これらの課題を解決すべく試験的に発行されたのが、2022年6月にJPXが発行した国内初のデジタル環境債「グリーン・デジタル・トラック・ボンド」です。このデジタル債は、グリーン発電設備からの発電量やCO2削減量等のデータを、デジタル技術を用いて自動的にデータベースに蓄積する仕組みを構築しています。これにより、発行体はデータ取得・集計作業から解放され、投資家は常時モニタリングによりタイムリーな投資判断が可能になります。また、グリーン性指標がフォーマット化されることで、投資家から最終受益者に対しても即時にESG情報を開示することができ、レポーティングの効率化も期待されます。


デジタル(グリーン)債のイメージ図

 


~今後の課題~

以上のように技術革新の成果を実感できるデジタル債ですが、その普及にはまだ残された課題があります。


課題1:プラットフォーム乱立リスク
デジタル債にはブロックチェーン技術が不可欠ですが、既にIoT技術を持つ複数の企業がプラットフォーム構築に名乗りを上げています。市場の互換性が確保されなければ、小規模な社債市場が乱立し、流動性の改善という、投資家の直接的な利益につながるメリットを消してしまう可能性があります。


課題2:税制問題は未解決
先述した税制優遇は、現行法上では従来の振替債にのみ適用され、デジタル債は適用されないとの解釈が大勢を占めており、令和6年度税制改正要望において金融庁より「トークン化社債等に関する振替債等と同等の税制措置」が提出されています。また、デジタル債で発行されても機関投資家と個人投資家における税制の違いが残る限り、機関投資家は課税処理等事務の煩雑化を理由に購入を避ける可能性があり、市場の拡大は期待できません。投資家の保有情報は把握できるため、新技術に対応する税制整備が望まれますが、初めから大きな効果が約束されている訳ではなく、現時点ではハードルが高いのも事実です。まずは個人投資家向け市場整備を優先し、将来的に機関投資家のセカンダリー市場との統合を目指すのが現実的かもしれません。


ブロックチェーン技術を活用したデジタル債市場は、個人投資家のすそ野拡大や流動性向上、情報の透明性を飛躍的に改善するポテンシャルがある一方、参加者の利便性よりも企業間の主導権争いが優先されると、結局市場を壊してしまう可能性もあります。
複数のグループにより互換性のない市場が乱立する前に、制度設計段階から当局等の強い関与を期待したいものです。


※個別銘柄に言及している場合がありますが、例示を目的とするものであり、当該銘柄に投資するとは限りません。また、個別銘柄を推奨するものではありません。


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